「たかの友梨」と聞いて、あなたは何を思い浮かべるでしょうか。
多くの人は、テレビCMや雑誌広告で目にする、華やかなエステティックサロンの創業者というイメージをお持ちかもしれません。
しかし、その成功の裏には、知られざる苦難と挑戦の物語が隠されています。
本記事では、美容ジャーナリストである私が、たかの友梨さんがエステの本場フランス・パリへ渡り、自身のサロンを創業するまでのリアルな歩みを、時系列で詳しく解説します。
この記事を読めば、彼女がなぜ日本の美容業界のトップランナーとなり得たのか、その原点を知ることができるでしょう。
美容の世界への扉を開いた原体験
たかの友梨さんの美容への情熱は、決して順風満帆な環境で育まれたわけではありません。
むしろ、コンプレックスや逆境こそが、彼女を美容の道へと突き動かした原動力でした。
「手に職を」母の言葉を胸に理容師の道へ
1948年、新潟県湯沢町で生を受けた、たかの友梨さん。
育ての親である母親から「女性でも手に職を持たなくちゃダメよ」と言われ続けたことが、彼女の人生の最初の転機となります。
その言葉を胸に、彼女は16歳で理容師の世界へ。
定時制高校に通いながら理容学校で技術を学び、17歳でインターン、18歳で一人前の理容師として働き始めます。
当時の理容学校では、ハサミやカミソリを自分で研ぐのは当たり前。
まさに職人の世界です。
群馬の理容室で腕を磨き、コンクールで入賞するほどの実力をつけたたかのさんですが、その心には「日本一の理容師になる」という熱い想いが燃え上がっていました。
そして、その夢を叶えるため、彼女は東京へと上京します。
挫折とコンプレックスが生んだ転機
東京での生活は、決して甘いものではありませんでした。
オフィス街の理容室に住み込みで働き、休日返上で別の理容室や小料理屋の皿洗いのアルバイトを掛け持ちする毎日。
休みなく働き続けた結果、彼女の心身は悲鳴を上げます。
過労とストレスで、顔中にニキビやクマができてしまったのです。
鏡に映る自分の姿に、彼女は深く落ち込みました。
しかし、この大きな挫折が、彼女を新たな道へと導くことになります。
通っていた薬局の化粧品売り場で出会った、ひとりの美しい販売員。
彼女に勧められるがままに化粧品を試したところ、肌の状態が少しずつ改善していったのです。
この経験から、たかのさんは化粧品の持つ力に魅了され、自らもその世界の扉を叩くことを決意します。
運命の出会いとフランス・パリへの挑戦
理容師から一転、外資系の化粧品会社に転職したたかのさん。
ここで彼女は、人生を大きく変える運命の出会いを果たします。
化粧品との出会いと「美」への目覚め
化粧品会社では、まるで映画『マイ・フェア・レディ』のように、メイクや立ち居振る舞いを徹底的に学び、見違えるほど美しくなっていきました。
そして、彼女は身をもって「女性は美しい方が得をする」という事実を痛感します。
外見が磨かれると、周囲の人の態度が明らかに優しくなったのです。
この経験は、彼女の中に眠っていた「美」への探求心に火をつけました。
そして、そんなある日、彼女の目に飛び込んできたのが、「フランスでエステティックが静かなブーム」という新聞記事でした。
「これだ!」と直感した彼女は、それまで必死に貯めた全財産を手に、エステティックの本場、フランス・パリへと旅立つことを決意します。
新聞記事が導いたパリへの道
1972年、たかの友梨さんは単身フランスへ渡ります。
頼れる人もなく、言葉もままならない異国の地で、彼女は持ち前の行動力と情熱で道を切り開いていきます。
人づてに情報を集め、研修生としてエステサロンに潜り込むことに成功。
理容師として培った技術と、何よりその勤勉な働きぶりで、すぐにサロンで重宝される存在となりました。
| 年代 | 出来事 |
|---|---|
| 1964年頃 | 16歳で理容師の道へ。定時制高校と理容学校の二足のわらじ。 |
| 1966年頃 | 18歳で一人前の理容師に。群馬で腕を磨き、東京へ上京。 |
| 1970年頃 | 過労で肌荒れに悩み、化粧品の世界へ転身。 |
| 1972年 | 新聞記事をきっかけに、単身フランス・パリへ渡る。 |
言葉の壁を越えて掴んだエステの神髄
パリでの8ヶ月間は、まさに修行の日々でした。
言葉の壁にぶつかりながらも、彼女は貪欲にエステティックの技術と知識を吸収していきます。
この経験が、後の「たかの友梨ビューティクリニック」の礎となる、本物のエステティックの神髄を彼女に叩き込みました。
詳しくは、たかの友梨さんの公式サイトでもその情熱的な歩みを知ることができます。
帰国、そして「たかの友梨ビューティクリニック」誕生
8ヶ月間のパリでの修行を終え、日本に帰国したたかのさん。
彼女の胸には、「日本の女性たちを、もっと美しくしたい」という熱い想いが宿っていました。
日本の女性を美しくしたい一心で美顔器を開発
帰国後、彼女はすぐに行動を開始します。
1973年、株式会社東京美機を設立し、自ら考案した本格的な美顔器「ヴィッキー」を発売。
同時に、来るべきサロン開業に向けて、着々と準備を進めていきました。
1978年、新大久保に開いた伝説の1号店
そして1978年、ついにその夢が形となります。
東京・新大久保に「たかの友梨ビューティクリニック」の記念すべき1号店をオープン。
体の自然治癒力をサポートし、肌本来の美しさを引き出すという彼女のエステティックは、肌に悩む多くの女性たちの心を掴みました。
さらに、彼女は自身の技術と理念を広めるため、サロンと同時にエステティシャン養成学校も開設。
この人材育成への想いは現在も脈々と受け継がれており、たかの友梨の社員として働くスタッフたちは、充実した研修制度と待遇面での手厚いサポートを受けながら、キャリアを積むことができます。
翌年には、最先端の脱毛技術を学ぶためにアメリカへ渡り、カリフォルニア州の脱毛士ライセンスを取得するなど、その探求心はとどまることを知りませんでした。
この創業期の精力的な活動については、たかの友梨ビューティクリニックの沿革にも詳しく記されています。
まとめ
たかの友梨さんの渡仏から創業までの歩みは、決して平坦な道のりではありませんでした。
理容師時代に抱えたコンプレックス、過酷な下積み生活、そして異国の地での挑戦。
しかし、彼女はどんな逆境にも屈することなく、自らの手で未来を切り開いてきました。
その不屈の精神と「美」への飽くなき探求心こそが、今日の「たかの友梨ビューティクリニック」を築き上げた原動力と言えるでしょう。
この記事が、夢に向かって一歩踏み出そうとしているあなたの、小さな勇気となれば幸いです。
